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父親たちの星条旗(2) [映画]


  

。 

第三章  マ ー ク 




この映画の感想を 10人ほどに聞いてみた。

すると、みんな口を揃えて 「分かりにくい」 と言う。

「有名な俳優が出てないから、誰が誰だか分からない。だから

どの人物にも共感とか感情移入とか出来ないまま 時間だけが

過ぎていき………ようやく顔が判別できる頃には映画は終わり

に近づき………期待が大きかったこともあり、正直がっかりした」

と言うのだ。

その気持ちは、私にも理解できた。 

私は現在、某校で授業を持っているが、今度この映画を教材に

授業をやろうと思っている。   

「パーソナルシンボルを活用せよ」

というテーマで。




映画で出演者の顔の区別がつかないのは “のっぺらぼう”
が演技しているのに等しい。
映画は音楽と同じ時間芸術だから、本のように後戻りする
ことが出来ない。


その弱点を補うためには何らかの工夫が必要だ。
出演者各々の顔が区別できなければ ストーリー展開 及び
状況把握が困難になる。
“顔のない俳優” がどんな名演技をしようと、どんな名セリフ
をしゃべろうと、ほとんど意味を なさなくなるのだ。


場面展開や登場人物が少ない作品なら、それでもいい。
1時間もすれば顔と名前が一致してきて、それなりに親近感を
感じられるようになってくるからだ。




しかし、戦争映画のような群像劇では、主演俳優1人でスクリーン
を延々独占し続けるわけにもいかず、“スター総出演”でもない限り、
3時間経っても、誰が誰だか分からないで終わってしまった、という
悲惨な結果が待っている。
映画が救いのない内容なら、気分良く映画館を出るなんてなおさら
難しくなる。

戦争映画に傑作が少ないのは、案外こういう所に理由が
ある
のかも知れない。

そんな事態を防ぐために 「パーソナル・シンボル」 という
もの
がある。 (欧米では “マーク” とも言う)

例えば…人が持ってない特徴的な物を持たせるとか、
まっ赤な
ドレスを着せるとか、やたら大声で歌うクセを与える
とか、
登場時に口笛のような特徴的な音楽を流す…などなど、
異なる
キャラクターを際立たせるためのアイテムを持たせたり、
独特なクセ
などを設定するのだ。

要するに、「オンリーワンを主張するしるし」を、各々に
マーキング
する、というわけだ。

脚本家・演出家は そんな所に心を砕くべきであり、逆に言えば
そこに気が回らない人は 一流のプロとは言えまい。
(黒澤なんか、こんな問題くらい 楽々とクリアしてたんだけどなあ)





たしかに戦争映画では、このテクニックが使いづらいところはある。
真っ赤な軍服など着せるわけにもいかないし、ひとりだけ変な物を
持ってたり、口笛吹いていたりしたら 即 上官に殴られるだろうし…。
もし一人ひとりに それぞれ特徴的アイテムを持たせたとしても、
人数が増えれば増えるほど うるさくなってしまい、かえって混乱を
招きかねない。そうなると逆効果だ。
本来、ここが演出家や脚本家の腕の見せ所なのだが・・・現実には、
有力俳優のオーラに頼ってしまっているというのが実情だろう。




ところで・・・・ 「父親たちの星条旗」 には、いわゆる有名スターは
出ていない。
かと言って、パーソナル・シンボルに該当する、これといった対策も
講じてはいない。
これでは観客に対する配慮が足りないと言われても仕方あるまい。
“真のプロ” としての力量が問われる部分であり、ひいては作品の
真価を問われることになる、と覚悟しなくてはならない所だろう。





黒澤監督の名前が出たので、実例をひとつ挙げておきたい。

“世界のクロサワ” はこの難題にどう対処したのか。
百聞は一見に如かず。 次の写真に その答がある。


「どん底」(1957) 

 

ご覧の通り 人物の一人ひとりが それぞれ強烈な個性を放ち、
初めてその顔を見た人にもひと目で憶えられるように計算され
ている。

とても脇役俳優とは思えないその輝き。


脇役俳優とは言うものの、出身は軽演劇のコメディアンだ。
(右端の藤木悠を除く)
今でいう “お笑い系の芸人さん” だ。
映画関係者は彼らのことを、いつも一段格下に見ていた。
ところが黒澤は、こういう下積みの長いコメディアンをとても
大切にした。
役者たちも、自分たちを信頼してくれる黒澤のために懸命の
演技をした。
(大部分の歯を抜き、撮影に臨んだ俳優が数人いた。何とも
すさまじい!)



そういう関係を10年がかりで築いてきた黒澤演出の集大成が
この「どん底」である。
(上の写真にはいないが、この映画の左 ト全は出色の出来だった)



もちろん、これらの顔は思いつきで集められたわけじゃない。
黒澤の中にある明確なイメージが、これらの役者を要求したのだ。
これほど特徴的な顔なら、ちょっと見ただけで憶えてしまえそうだ。
そうなれば感情移入が容易になって自然に映画の中に入って
いけるだろうし、より深く物語を味わえるというものだ。



この映画を見たジャン・ルノワールが、驚いて こう言ったそうだ。
「すごい! すべての顔にマークがある!」




慣れない人が欧米の映画を観ると
「外人さんの顔はみんな同じに見える」 と言う。
それは “外人” の目から見ても同じこと。
日本でどんなに有名な俳優でも、彼らから見れば印象の薄い
異邦人に過ぎない。
要するに、“黒澤以前” の日本映画を観た外国人には、
日本人の顔が全部同じに見えたのだ。
黒澤の映画が世界的な評価を受けたのは、その障壁を軽々と
越えて見せたことが大きい。
黒澤映画には例外なく、一度見たら忘れられない顔が並んでいる。
これ以上のパーソナル・シンボルはない。



「どん底」 に限ったことではない。
黒澤映画全30本に その思想と感性が息づいているし、「どん底」
以上の映画も少なくない。



初めての方は 「天国と地獄」 ・「赤ひげ」 ・「椿三十郎」 ・「用心棒」
「七人の侍」 ・「生きる」 の順に ご覧になるとベストかも。
ある先輩に勧められるままこの順に観た私は、やはり良いアドバイス
だったと感謝している。
これらの作品は、登場人物のアイデンティティ が確立されていて
実に見事だ。
私たちは、それをただ楽しめばいい。




50年経っても輝きを失わない黒澤映画とは何だろう。
そう考えると不思議な気持ちになる。
新作に加えて、黒澤映画という “歴史的奇跡” を享受できる
我々は、何と良い時代に生まれついたのだろう。
ただ 感謝するばかりだ。




そうだ、傑作をひとつ忘れていた。
「どん底」 の翌年に発表された 「隠し砦の三悪人」! 
これもお奨めです。
戦国時代を舞台に、「勧進帳」と「ローマの休日」を合体させて
描く空前の超大作!


えっ? そんな盆と正月が一緒に来たような映画あるわけない? 
いや、それがあるんですよ。
盆と正月だけじゃなくて、クリスマスと誕生日も 一緒に来たって
感じだったよ (笑)




もちろん、この映画も “パーソナル・シンボル” の最良のテキスト
のひとつだ。
でも、黒澤の話になるとキリがないので先に進もう。
(これはスピルバーグの口癖のパクリです)




ところで、クリントじいさんは この “映画の弱点” について
一度でも考えてくれたんだろうか?
疑問が残るところではある。



ただ・・・・弁護するつもりはないが、正直この人を責めるのは
気が乗らない。
黒澤の全盛期と比べるのは彼が可哀想だ。歳も歳だしね。
何よりこの歳で戦争映画にチャレンジした根性を、私は評価したい
とさえ思うのだ。



キャリアを見ても、もともと趣味と実益を兼ねて映画を撮っていた人。
彼には、これで食っていくんだというプロらしい迫力は元来なかった。
そういう勉強をせずに監督になった人なんだから、あまり期待しても
裏切られるだけだ。





巷には、それだけで食ってるくせに ヒドイ映画を作り続けてる
オッサンだってゴマンといるし。
それに引きかえ彼は、近年急速に重厚さを増し巨匠っぽくなって
きたと思うし、そのことには驚嘆の感さえ持っている。
この人を、3度のメシより映画好きの有名俳優だと思えば、
それほど腹も立たないだろう。




彼は関わった映画のほとんどに彼自身が出演している。
この男ほど目立つ俳優もざらにはいない。
何をせずとも、そこにいるだけで とにかく目立つ。
要するに、イーストウッドという演出家は、どうやれば目立たない
俳優を目立つようにできるかという苦労など経験することなく
ここまで来た人なのだ。



何もしなくても目立つからそんな苦労は必要なかったし、
無名俳優を輝かせるにはどうすればいいか、という苦悩などには
無縁だったのだ。
そういうことで苦しみ抜いた監督でないことは、その作品を観れば
よく分かる。


今までに、彼が若手の俳優を育てたことがあっただろうか。
個性的な脇役を育てたことがあっただろうか。
(「ミリオンダラー」 のヒラリー ・スワンクでさえ例外ではない。)

彼の通って来た道を振り返ると不毛の風景が広がる。
彼が育った西部劇のワンシーンのように。




それにしても元気なジイさんだ。お金にも貪欲だし(笑)
なんでも、今度の2本で10数億円も手にしたそうだ。スゴイ!
“趣味と実益” から始めたベンチャー事業がついに天下を取った
という言い方も可能だろう。

 

いや、私は皮肉を言っているのではない。

映画事業はとにかくお金。
彼が自分のプロダクションを破綻の淵に追い込まなかったのは、
ひとえに彼の金銭感覚が正常だったからだ。
彼はとにかくお金にはうるさい。
「予算オーバーは ご法度」。
ここを死守したからこそ彼の現在(いま)があると言っていい。



それは、今でも何ら変わらない。
彼の “ワンテーク主義” は有名だ。
いきなり本番、一発オーケー というヤツだ。
撮影は遅滞なくどんどん進む。




たしかに粘って作り上げれば、それなりに良くはなる。
その代わり、俳優・スタッフの人件費、機材のレンタル使用料、宿泊費、
それに加えてスターたちには違約金を払わなければならなくなる。
1日あたりの合計金額が軽く1000万円を超える場合もある。
これでは 再生産などおぼつかない。





この老監督は費用対効果のバランス感覚が抜群だったからこそ、
弱小プロをここまで大きく成長させることが出来たのだ。
彼は何よりもまず “納期厳守の職人” であり、その才能はハリウッド
でも異彩を放っていた。

そして、スピルバーグが目を付けたのも、まさにこの “特別な才能”
だった。
私が作れば期間も予算も倍かかる。観客動員が若干上回ったと
しても元は取れない・・・・・・これがスピルバーグの計算だった。
彼も60歳。
早撮り、低予算製作で鳴らした神童も、寄る年波には勝てない。
最近はスターに頼りがちになって来ていたし、急速に訪れた体力の
衰えとともに 自慢の “早撮り” も品質の維持を困難にしていた。



そうなって初めて、スピルバーグはイーストウッドの存在の大きさを
感じ始めたようだ。
「この老人は なぜ衰えを知らないのだ」 という驚きが、やがて尊敬の
気持ちにまで高まってきたと言っていい。
その意識の変化が、アメリカ映画の二大巨頭の距離を急速に縮める
ことになった。




しかし、スピルバーグの目論見(もくろみ)が完璧に当たったとは
言えない。
「星条旗」の観客動員は思ったほど伸びず、予定の配給収入に
達しなかったのだ。
イーストウッドが無名俳優にこだわったために招いた結果だった。




しかし、転んでも只は起きないのがイーストウッドの真骨頂。
歴戦の兵(つわもの)たる所以(ゆえん)である。
次作 「硫黄島からの手紙」を、何と 「星条旗」 の3分の1の
予算で撮り上げ、あっという間に損? を取り戻したのだ。
しかも、今回は日本で名の通った俳優を起用することで、
スピルバーグを眠れぬ夜から解放し,アカデミー賞まで
さらっていく勢いだというのだから恐れ入る。
今頃スピルバーグは、クリント翁の冷静なバランス感覚に改めて
舌を巻いているに違いない。



この映画にしても 「ミリオンダラーベイビー」 にしても、例によって
ポンポンと お手軽?に撮られたのだが、とてもそんなふうには見えない。
ここまで来れば もはや曲芸に近い。
たぶん彼には、俳優たちを瞬間的に完全燃焼させるだけの
“威厳と信頼感とカリスマ性” が、自然な形で備わっているのだろう。
人は これを 「オーラ」 と呼ぶ。





さて、再び “パーソナル・シンボル” の話を続けたい。

私はいま 「ソネット・ブログ」 の優秀性を考えていた。
個人を象徴するマークを兼ねるアイコンにしても、バリエーション
豊かなスキンにしてもソネブロは “パーソナル・シンボル” の重要性
を知り尽くしている。ただ者ではない (でもタダ)。
多くの脚本家たちに、ソネブロの爪のアカでも進呈したい気持ちにも
なろうというものだ。




この映画の脚本は苦労して書き上げられたものだが、これまで
述べてきたように、残念ながら“パーソナル・シンボル” に対する
配慮が十分だとは言えなかった。

脚本執筆中には、まだ配役が決定してなかったことは同情すべき
だが、若い俳優が中心になることは、書いた本人が一番よく知って
いたはず。 言い訳は出来ない。




では、具体的にどうすればよかったのか。


戦争映画のように出演者が多い場合は、先に述べたとおり
弊害が多くて 言うほど簡単ではない。
パーソナルシンボルの設定が困難な場合、もうひとつ手がある。
それは コントラスト(対位法) というテクニックだ。
原作は、この “コントラスト” を じつに効果的に使っている。





では,映画のほうは どうだったのか。
原作を読むとその厚みは相当のものだ。
とても1日では読める量ではない。
映画化に際し、当然カットは必要だった。
しかし映画は、切ってはならない重要な部分さえも
切ってしまったのではないか。


思いきってばっさり切った結果、作品の持つ重要なコントラストが
失われてしまい、結果、「
人物の輪郭が非常に分かりにくい
映画
」 が出来上がってしまったのだ。




いや正確に言うと、脚本家ポール・ハギスらは この映画で
“別のコントラスト” を試みていた。
「地獄の戦場」 と 「平和ボケの米本土」 との対比、二極並行描写である。

これは一見素晴らしい発想だった。
彼らは、その魔力と甘い誘惑に抗し切れなかった。
その思惑は成功したのか、それとも失敗だったのか。
次章で検証したい。







さて、出版までの経緯である。
原作は最初ブラッドリーひとりで書き上げられ、多くの出版社に
持ち込まれた。
しかし彼の思惑通りには事は運ばず、持ち込んだ27の出版社に
ことごとく断られた。
ズブの素人である彼の文章は、とても出版できるレベルでは
なかったのだ。
この “稚拙で魂のこもった労作” は、このまま日の目を見ずに
終わるかに見えた。




絶望に沈む彼に救いの手を差し伸べたのは、ピューリッツァー賞作家
ロン・パワーズ。
パワーズは素人の文章を再構築し、見事な記録文学に仕立て直した。
その編集方針の骨子は “コントラスト” を確立することだった。



ところが、原作で 「6人プラス1人」 だった主要人物が、
映画では 「3人」 に絞られた。
あの写真に写っていた 6人が 3人に減ったことは仕方がない。
3人は帰米直前に戦死してしまうのだから。
原作を圧縮するのに この部分を削ることは、誰もが考える
妥当な措置であろう。


 

問題は、残りの “プラスひとり” だ。
原作において、6人の兵士と対比して描かれる1人の個性的人物。
その人物の存在が、にわかにクローズアップされてくる。

〈後記〉

次章では “映画に描かれなかった事実” を中心に
綴っていきたいと思っています。
私としては、この “描かれなかった事実” に興味があるし、
描いて欲しかったところでもある。
理由は簡単。
そのほうがずっと 面白くなるし、テーマ自体 分かりやすくなるから。



硫黄島戦の史実には “ドラマチックなエピソード” が少なくない。
にもかかわらず、映画は まったくと言っていいほど “盛り上がり” を欠いていた。
それはなぜか? 
次章では、そのことについて深く考えてみたいと思っています。


 

 

 

第四章  消えたコントラスト



 

男の嫉妬は性質(たち)が悪い。
それは多くの場合 「正義の仮面」 をつけてやって来る。
ジョー・ローゼンソールが受けた誹謗 と中傷も、ご多分にもれず
激しいものだった。

 

偶然 世紀の特ダネをものにした彼は、一躍 「世界一のカメラマン」
と称えられる男となった。
しかし!  風采の上がらない弱視の小男は、1週間もしないうちに
疑惑の渦中に叩き落される。
あの写真が “やらせ” の疑い をかけられたのだ。




しかし………いったいどうして こんなことになったのか。


 

あの日最初に星条旗を掲揚した第一次偵察隊の頂上アタックは、
海陸合わせて 5万の米軍兵士の見守るなか 決行された。
いわば 5万人の “立会い人” が注視する中を、40人の兵士たち
が頂上を目指したのだ。




その様子を艦上から目撃した ある士官の証言が残っている。
「私たちは、ブリッジ(艦橋)から 双眼鏡越しに彼らの姿を追っていた。
皆、彼らのほとんどは死ぬだろうと思って見ていたよ。だって、この山
には、まだ かなりの数の日本軍残存兵が隠れていたからね。 誰かが
やらねばならない任務とはいえ、内心 同情したよ。」





幸運にも 40人は、一人も欠けることなく頂上に立ち、
予定通り 星条旗を揚げることが出来た。
その瞬間は写真にも収められた。
撮影者は 海兵隊・二等軍曹ルイス・ロワリー。
この日 島を囲んでいた者は皆、後日 本国での写真の反響を伝え聞いて、
「国旗掲揚写真」は、この“ファーストアタック”時に撮られたものと思い込
んでいたというが、それは極めて自然なことだったのである。





ローゼンソールが頂上に着いたのは、それから100分後のことだ。
一次隊とは さほど状況の危険度が変わらない中での登頂だった。
事実、彼が登頂する直前 小規模な銃撃戦が2回あった。
もし30分早く登っていたら、武器を携行していないローゼンソールの
命は 空しく散っていたかも知れない。
彼も先遣隊も、“命懸け”という点においては何ら変わりはなかった。




 

遅れて登ることは決して彼の希望ではなかった。
出来れば一番隊と共に登りたかったのだ。
遅れた理由・・・・・それは直前に海に落ちたからだ。
彼は艦船から上陸用舟艇に乗り移ろうとして、はしごから足を
滑らせ海に落ちた。
“ネズミ男が濡れ鼠になった” と笑う若い兵士もいた。
しかし、運命とは不思議なものだ。
まさかこの事故が あの“歴史的な一瞬”に繋がっていくとは………
この場に居た誰にも予測できなかった。

ところで・・・・・・・・硫黄島の戦いに限らず、太平洋戦争の戦場には
多くの記者が同行していた。してはいたが、彼らに許されているのは
ただひとつ。遥か沖合の艦船から 戦況の推移を (ほとんど見えない
距離を隔てて)双眼鏡で見守っているだけ。民間人記者には それが
限界だった 。その代わり、高いレベルで安全が保証されてはいたが。

対して、ローゼンソールの身分は軍属の扱いだったので、敵に撃たれ
ても、味方の流れ弾にやられても 文句は言えなかった。
しかし、彼はすこぶる無頓着だったし、危険な所に行くのに躊躇という
ものがなかった。
結果として、その鈍感さが大きな幸運を呼び込んだのかも知れない。
何事かを成すためには、「鈍感で 根気があり 運に恵まれている」こと
が求められるが、彼は この「運・鈍・根」の三つを 過不足なく備えていた
と言えるだろう。
ここで 「ダスティン・ホフマン」 のイメージが浮かんだ方は なかなかの
映画通だと思う。
さらに強運は続く。 旗は最初 4人で立てようとした。
しかし、旗ざお代わりに使われた水道用鋼管が重すぎたうえ、山頂に吹き
すさぶ風がきつく、垂直に立てようとして容易に立てることが出来なかった。
加勢が二人加わって、苦労のすえ、ようやく星条旗が立てられるというちょ
うどその時、“偉大なる瞬間” が、あわててシャッターを切った “ダスティン”
によって記録されたのだ。
もし旗ざおが軽いものだったら、もしその一瞬 風が弱まっていたとしたら…
…そう考えると、我々後世の者は “運命のいたずらというものの神秘”を
強く感じないではいられない。
ところが だ!  この男の面白さが イーストウッドには分からない。
人間が分からない人が映画を撮ると 得てしてこうなる。   

  

  ◆ ◆ ◆

。 

ところで映画では、大きく分けて「硫黄島の戦闘」、「本国での国債販促キャンペーン」、「現代=戦場体験を語る老人(元兵士)」の3場面に分け、アトランダムと言えば聞こえがいいが、要するに 結構適当につなぎ合わせて構成されているのだが、この無秩序かつ非論理的な時制の解体が、脚本を不安定なものにしてしまっているのだ。 特に序盤の30分は、物語の骨子が見えないことが致命的。登場人物が皆 特徴のない軍服を着ていることに加え、光を当てようとしている人物が6人と多いため、 予備知識を持たない者には非常にわかりにくいのだ。これは要するに、この映画において、物語全体を貫く「視点」が著しく欠けていることを意味している。 原作は衛生兵ドクの息子が書き上げたものだが、映画では息子の独白の一部を ほんの申し訳程度、たまに思い出したように使うだけで、息子の視点で物語全体を統一しているわけではない。だから、時間が過ぎていく割りに理解が深まらず、結局最後まで全体を把握することなく終わるのだ。 脚本のポール・ハギスは、多くの問題を 132分の中に詰め込み過ぎたため、みずから混乱しているように見える。視点が不安定すぎて、誰が見ても 意味もなくわかりにくいのだ。これは、演出をしたクリント・イーストウッドも同罪である。 また,全米を巡回中のヘイズ、ギャグノン、ブラッドリーの三人が、音や光景をきっかけに硫黄島の戦いを思い出すという演出も、回想シーンへの繋がりが 狙ったような効果をあげていない。 硫黄島の戦闘も、その進捗(しんちょく)が捉えにくい。「艦砲射撃・空襲で始まった前哨戦」→「海兵隊上陸作戦」 →「擂鉢山の攻防」→「米軍の追撃・日本軍 島北部へ敗走」と言った全体の流れがまったく把握できない。 「ドク」の息子で 原作者のジェームズ・ブラッドリーが、父が語ることのなかった硫黄島の戦いの真相を追求するという物語の主軸も終盤まではっきりと見えてこなかった。息子が登場して “父の回想”が始まるが、その父の回想中に、さらに「激戦の硫黄島」と「本国帰還後」が 回想で交互に出てくる。この三つがやたら唐突に、つまり観客側から見ると無秩序に登場する。「二重回想」というのは、もともと下手っぴいな脚本家のすることで、通常 映画では禁じ手なのだ、とシナリオ学校では教えている。 現在場面と過去場面とが まったく別物のような印象を受けるのは失敗作の特徴といえる。繋がりの解りにくさにも通ずる所だろうが、ひとつには、終始無表情なR・フィリップに代表されるように、“彼等の顔”が全く見えてこない。彼らが感情のないロボットに見えてくるのはなぜだろう。それは 彼等の屈折した心情というものが、十分に表現しきれていないことに起因する。要は、「戦争にヒーローなどいない!」 という本来主張するべき部分にインパクトが無いのだ。私は、作者には もともと伝える気力が希薄と見た。 また、彼等の嘆きは、70年代後半から80年代にかけて作られたベトナム戦争後遺症的映画で語れてきたことと同工異曲であり、意外性の無いドラマに終始し、テーマそのものにも目新しさというものは、ついに感じられなかった。 戦争に従事したマイノリティの戦後問題にしても実はそれだけで一本の映画になるぐらいの重いテーマである。それを彼が主人公と言うわけではないドラマの中で、強引に主役を演じているような不自由さがあったのも頂けなかった。

(注)この項は 「書きかけ記事」です。


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コメント 26

エッコ・ミ

先日は私のブログにお越しくださり、ありがとうございました。
「パーソナル・シンボル」という視点から分析されたイーストウッド作品の考察、本当に興味深く読ませていただきました。
私も「父親たち」の映画、だれがだれだかわからずに苦労したのですが「無名俳優を輝かすにはどうすればいいか」を考えることに無縁できたイーストウッド・・という指摘に「なるほど!」と思いました。

ところで黒沢映画でいえば、土方さんのあげられたベスト3、全く同感です。「隠し砦の三悪人」は見たことありません。大好きな「勧進帳」と「ローマの休日」があわさったような作品となれば、今度ぜひ見てみたいです。
by エッコ・ミ (2007-01-14 10:10) 

キキ

こんにちは。

土方さんの記事を読んでるとまた久しぶりに黒澤作品を見なければという気持ちになります。それに観てない作品も多いですし。
私は「七人の侍」「椿三十郎」「隠し砦の三悪人」「赤ひげ」等の三船敏郎作品が好きです。
by キキ (2007-01-14 14:57) 

エッコ・ミ

ごめんなさい。黒澤と書くべきでした。黒沢だと何だか感じ(漢字!)が違いますね。
by エッコ・ミ (2007-01-14 16:17) 

preterite

はじめまして。
自分のブログにお越しいただいてありがとうございました。

土方さんのレビューを読ませていただいて、俳優の顔の区別がつかないということについては同意見です。
この映画についてはそれだけが残念ですね。

「硫黄島からの手紙」では同じ日本人のせいか?どの人物も印象に残りましたが、これも外国人から見ると同じ顔に見えてしまうかもしれませんね・・・。

ところで、自分の黒澤明ベスト3は「野良犬」「隠し砦の三悪人」「用心棒」です。
「どん底」は未見なので、機会があったら見てみようと思います。

また共通の映画がありましたらこちらのブログにもお越しいただけると嬉しいです。
by preterite (2007-01-14 18:34) 

Hiji-kata

●エッコ・ミ様
わざわざのご訪問 恐縮です。
こんな中途半端な記事にコメントを頂ける事自体
望外の喜びであり、今後の励みにもなります。
黒澤の話題にも触れて頂き、そのお心づかい嬉しく思います。
「勧進帳が大好き」・・・・・特に嬉しい!(^^)
「虎の尾を踏む男たち」の原作は「勧進帳」です。
この映画は昭和20年8月15日をまたいで撮られました。
他の映画監督は終戦の瞬間、撮っていた自作を放り投げたので
(国策映画製作による戦犯追及が怖かったため)撮影続行は当時
あり得ないことでした。続けさせたGHQも立派と言えば立派ですが、
続けるほうも命知らずですよね。中止させるかどうかは、当時GHQ
映画部の責任者だったジョン・フォードに一任されました。その日の
朝、スタッフたちの反乱がありました。なんで戦争終わって殺されな
きゃなんねえだ・・・・それからのことは、今執筆中のため書けません。ゴメンナサイ。
(今の検索システムはコメント欄にまで探査が及ぶので怖いのです)
結局、この映画は占領解除(昭和27年)まで公開されませんでした。
その間、密かにスタッフらに繰り返し見せていたのがジョン・フォード
その人でした。どういう気持ちで 「虎」を見せたのかについては、映画
を見て頂ければ分かると思います。
一部証言が残っています。
「フィルムがない。電気もない。辛うじてギリギリ映画が撮れる最低の
条件で撮られた60分にも満たないこの映画が、なぜ戦中のアメリカで
作られたすべての映画より優れているのか、誰か教えてくれ」
(涙などには無縁の男性的な) この初老の映画監督の声は、涙声
だったそうです。彼は1946年、「荒野の決闘」 を発表します。主役の
ヘンリー・フォンダは黒澤 明のイメージを忠実に再現したものです。
うわ~、長くなっちゃった・・・・・ごめんなさい。m(^^)m
by Hiji-kata (2007-01-15 08:53) 

Hiji-kata

●キキ様
わざわざのご訪問 恐縮です。
返事が遅れて申し訳ありません。
体調が悪く24時間パソコンから離れておりました。
「日本海 波高し」を もじって 「土方歳三 熱高し」です。
三船敏郎ばりに体力には自信があり、カゼにも無縁だっただけに
ちょっとショックです。
人に言わせると、私の顔は 「三船敏郎と高橋英樹を足して2で割った」
ような顔らしいです。(どんな顔じゃ~!)
ちなみに 「赤ひげ」そっくりのひげを生やしてます。
(これは偶然の成行きです)
以上、自己紹介?でした。(笑)
by Hiji-kata (2007-01-15 09:37) 

Hiji-kata

●preterite様
わざわざのご訪問 恐縮です。
黒澤映画にも造詣が深いんですね。
「野良犬」 は名作ですね。それで思い出すのは 「野良犬」 のリメイク。
「椿三十郎」(主演 織田裕二)のリメイク発表時に、国内初のリメイク
とありましたが、あれは誤報です。「姿 三四郎」 が一番多く、4回ほど
リメイクされています。「野良犬」 は森崎 東監督が再映画化にチャレン
ジしました。出来ですか? ・・・・・忘れました。(笑)
渡 哲也が三船の役をやっていたような記憶があります。DVDが存在
すれば見てみたい映画ではあります。
by Hiji-kata (2007-01-15 11:35) 

しまうま

 こんばんは~。

 黒澤監督を尊敬しているらしいスピルバーグは「プライベート・ライアン」で出てくる兵士の役割をきれいに割り振ってましたね。「七人の侍」のパクリという説もありますが…。
 戦争映画って群像劇が多いですから、誰が誰だかわからないことって、いい映画でも結構ありますよね。
by しまうま (2007-01-15 20:08) 

Labyrinth

こんばんは。 夜分おじゃまします。
思わせぶりな終わり方ですね~(笑)ますます興味津々ですよ!
その先を知りたければ原作を読んで! と言われているような?f^_^;
でも、こちらを拝見して 作者が二人という事情がよく理解できました。(苦笑)
そして、熱の入った?黒澤談義も楽しみです。(^m^)ぷっ 
ご自愛下さいませね。
by Labyrinth (2007-01-16 02:16) 

Hiji-kata

●しまうま様
わざわざのご訪問  恐縮です。
「プライベート・ライアン」 はスピルバーグの演出力で迫力ある映画に
仕上がっていましたね。この映画の撮影時、黒澤は病床にありました。
スピルバーグとしては、何とか元気になってもらおうと 「黒澤さん、いま
撮っている映画に 『七人の侍』 のオマージュが登場します。もうすぐ完
成するので楽しみに待ってて下さい。」 というメッセージを送ったのです
が、映画の日本公開 (1998.9.26) を目前にして、黒澤 明 は 88年
の生涯を閉じました。 その日 (9月 6日)は、早朝降り出した雨が終日
降り止みませんでした。   雨が降る   黒澤明が   逝く朝に
by Hiji-kata (2007-01-16 11:55) 

Hiji-kata

●Labyrinth様
また来て頂いて 感謝します。
頂くコメントには 「肩の力を抜く極意」 を感じます(^^)
図らずも、「三分割」 の記事になってしまいました。
まことに恐縮至極です。。。f(**)
一気に終わらせるはずが、この “ていたらく”。
こうなったら 1日も早く完成させたいと思っていますので
これからも 懲りずに お付き合いのほど よろしくで~す♪ (^^)/
by Hiji-kata (2007-01-16 12:20) 

まみりん

こんばんは。
『パーソナル・シンボル』・・・今までその演出を意識したことなかったのですが、何故だか印象に残ってしまう脇役には、特別なマークがつけてあったんですね。全然知りませんでした。
私、今回の作品は、出演する俳優さんを浅く予習していたので、『誰がだれだか・・』な状況は免れたのですが、確かに今まで派手な役を演じてる人が少なかった分、わかりにくかったかもしれませんね。

アメリカ側からのこの作品、戦地と本土の温度差というよりも、あの婚約者の女性の行動に反感を覚えてしまったので、落ち着いて観ることができませんでした(笑)
再度挑戦しようと思っていたのに、気づいたら上映終了してました・・・
by まみりん (2007-01-17 21:47) 

Hiji-kata

●まみりん様
長い文章におつき合い頂き感謝します(^^)
(この映画の中の)女性に関するご指摘 同感です。 
この映画の女性の描き方には、何かこの監督の心境の変化なのか
違和感みたいなものを感じました。
あれは彼の芸術観というより、明らかに “女性観” ですね(笑)
あんな元気な男でも、76歳にもなると枯れるというか
かわいい女性に全然興味がなくなる?(笑)
魅力的な女性がまったく登場しない映画・・・・・さびしいです。。。f(^^)
あの時代、素敵な女性がたくさんいたはず・・・・・女性から見ても釈然と
しないでしょうし、映画としてもちょっと物足りないですよね。
by Hiji-kata (2007-01-18 13:32) 

パーソナルシンボル、初めて聞く言葉と概念ですが、なるほど!と勉強になりました。
そういえば、知らない俳優さんばかり出てくる洋画を見るとき、登場人物を判別するのに、無意識に色の付いたジャケットや、特殊な髪型、持ち物などを見ていたのだと、思い当たりました!
コントラストの言葉で原作を読みたくなりました。
あら?中編!!
後編も楽しみにしています。
by (2007-01-24 16:11) 

Hiji-kata

●梨花さま いらっしゃい! 元気でお過ごしでしたか?
「絵ごころ」 という分野に関しては、たぶん梨花さんの方が明るいと思い
ますが、「映画」 と 「絵ごころ」 とは切っても切れない関係がありますね。
色の選択にしても、形を決定するにしても・・・・・。
そういう作り手側の苦労をさりげなく隠して、観客を知らないうちに物語の
核心に引きずり込み、最後に感動を与えてくれる映画が好きです v(^^)
by Hiji-kata (2007-01-24 18:05) 

Hiji-kata

【追伸】
 梨花様  3分割 ごめんなさい(笑)
 これに懲りずに また読んでやって下さい。
 今月の推薦映画・・・・・「フレンジー」 (監督 アルフレッド・ヒッチコック)
               ※16歳以下はマズイですが。
by Hiji-kata (2007-01-24 18:18) 

sysy_sysy

まず、前回の続きを読めたことでnice!
で、後編にも期待するわけですが、今回お書きになっていることにいちいち納得ですよ。なんだか最近、納得ばっかりしていまして、自分の意見がないのかと思うこともしばしばなんですけど。納得できないものは観ない、読まないというふうにしていると考えれば良いわけです・・・などという自己分析はどうでも良いとして。

「父親たちの星条旗」は、観ていて、誰が誰だったのか、それを考えるのに忙しくて、もはやストーリーどころではなくなってしまってました。
唯一、ホピ族の方、ネイティブアメリカンの彼だけは、わかりましたけど、ありがちだし、暗いし。もちろん、実話に基づいてるんでしょうから、お話の捏造はできかねるという制約はあったんでしょうけど。

話は外れてしまいますが、この記事にも書かれている「隠し砦の三悪人」、好きです。
で、面白いのと、主演のお姫様、えーっと上原美佐でしたっけ、の演技が「黒澤監督、この人を起用して、相当てこずったんじゃないだろうか?」と想像させる下手さもユニークな印象として残ります。 
by sysy_sysy (2007-01-25 15:25) 

Hiji-kata

●シンイチロウ様
毎度、中途半端な文章にお付き合い頂き 感謝します。
先日、友人にこう質問されました。「お前、この映画好きなの?嫌いなの?」 と。
「監督が極力感情移入を排して映画を観ろと言ってるように思えたから、一定の
距離をおいて観てはいるが、もし本当にイヤな映画なら こんな努力は馬鹿馬鹿
しくて御免だね。」 と私は答えました。
確かに この映画はある意味 失敗作ではありました。
でも、見捨てるに忍びない“真面目さ” があるのも また事実だと思います。
私は “人間は失敗からしか学ぶことが出来ない” という言葉の信奉者なのかも
知れません。 とにかく この映画から学べるものはすべて学び取りたいと思って
います。 それ以外の気持ちは、かけらもありません。
ただ、あいにくシンイチロウさんのような鋭利な知性を持ち合わせていないので
脇道 ・寄り道が多くなっており、我ながら嫌になりますが(苦笑)。
ご指摘のネイティブ・アメリカンの描き方にも重大なミスがあるように思いました。
あれは致命的だったかも知れない。
当時の記録によれば、酒場での暴行など、彼の素行の悪さは常軌を逸していた
らしいですね。そこは、美化することなくありのまま描いたほうが、彼の悲しみや
苦悩が、さらに強く観客の心に届いたはずなのに、非常に疑問を感じました。
映画は、まるで官僚が書いた議会用答弁のようで興ざめでした。
あの男は喜怒哀楽が激しくて、ユーモアのセンスもかなり豊かだったそうです。
「まるで 『七人の侍』 の菊千代みたいだな」 と思うのは、私だけではないはず。
そう考えると、クリントじいさんは “美味しい所” をボトボト落としながら大股で脇目
もふらず歩いて行ってしまったような気がしてなりません。
彼だけではなく、他の人物に関しても 「掘り下げ方が甘かった」 のが、この映画
の最大の敗因のように思えてなりません。
by Hiji-kata (2007-01-25 18:53) 

sysy_sysy

こんばんわ!ちょっとのぞいて見たんです。そしたらこんなに長い返事をお書きくださって。

『七人の侍』 の菊千代的ユーモアを、映画的に、このネイティブ・アメリカンに味付けしてあげていれば、また違った印象の映画になっていたかもしれないですねー。ああ、もったいない!
という感じを持って、返事を読み進んで行くと、『クリントじいさんは “美味しい所” をボトボト落としながら大股で脇目もふらず歩いて行ってしまった』ってお書きになってる。
まさしく、そういう感じがします。まあしかし、土方歳三さんもおっしゃるように、クリントじいさんの映画作りへの真摯さ、テーマに対する敬意の念は感じます。
どっちかが欠けていると感じれば、話題にもしたくない映画に成り下がってしまいますもんね。
by sysy_sysy (2007-01-25 22:23) 

kurohani

拙文にコメント&nice!ありがとうございました。「星条旗」がなぜイマイチなのか?をディープに掘り下げた文章、興味深く拝見しました。『パーソナル・シンボル』大変面白いです。私はネィティブ・アメリカン役の俳優さんが一番印象に残りましたが、、。黒澤監督の映画全部観た訳では無いですが、登場人物皆キャラ立ってますものね。あと狂言回し的な役割の人が出て来る所が好きです。イーストウッド映画はきちっと真面目で正しいんだけど何だか遊びが無いと言うか、、。(下)を早く読みたいです。
by kurohani (2007-01-25 23:10) 

Hiji-kata

kurohani 様
わざわざ ご訪問頂き 温かいコメントまで・・・・感謝します。
元来しつこい人間を嫌っていた私でしたが、気がつけばディープな記事
と格闘している自分がいました。読んで頂いている方には 大変ご迷惑
をお掛け致しますが、どうぞ ご容赦下さい。
ご指摘の通り、アダム・ビーチが演じた兵士の役は、映画で一番目立つ
人物でしたね。
観客から見れば感情移入できる唯一の人物だったかも知れません。
当然ながら彼も、滅多にないチャンスをものにしようと、意気込んで撮影
に臨んだのですが、あの脚本ではあれが限界だったようです。
かわいそうなことをしました。
ところで “狂言回し” と言えば、真っ先に頭に浮かぶのは 「乱」 の
ピーター。彼は狂阿弥という難役を、実に伸び伸びと演じていました。
それが、結局は「乱」 の価値を決定づける決め手にまでなっていました。
あれは まさに、そういう環境を作り上げた黒澤監督の手腕でした。
イーストウッド監督にも、アダム・ビーチに、あの 「菊千代」 の半分でも
いいから、強烈な自我を爆発させるような演技を引き出すことで、観客
との距離を縮めて欲しかったです(^^)
by Hiji-kata (2007-01-30 11:36) 

流星☆彡

←(上)を 拝読しましたので、続きに伺いましたが、この続きも あるんです
ね。また 追々おじゃまいたします。m(__)m
ソネブロが “パーソナル・シンボル” を 上手く活用している…な~!とは、
私も常々思っておりました。↑この的確な表現は 思いつきませんでした
けれども。。。(~_~;)ゞ 私にとって、ネット交流の体験や ネット技術力に
欠けた状態で まず 飛び込んでみた曽根ブログ界でしたが、他のブログ界
よりも ブロガー間の交流を盛んに促しているのは、曽根の仕様が、記事に
訪れた訪問者を個性付ける力を持っている事に負う点が 大きいと、ず~っと
思っておりました。何十人の方との交流を 日々継続されている ブロガー
さんも、曽根には 大勢いらっしゃいますが、活字だけのコメント・TBで
これだけの人脈を 整理・維持管理(←言葉遣いが適切でないかも しれま
せんが…)するのって、結構 大変だと思います。誰が どんな人だったか!?
混乱してしまいますよ。その観点で、とっても優れた仕様だな~!という
点、映画のキャストを認識する状況と 同様ですよね。
私は、まず洋画(特にハリウッド映画 ^^; )を 観るところから 映画好きが
始まったので、黒澤作品に 疎いんです。「羅生門」「乱」とかは もっぱら
TV放映で 見ただけ でして。。。(@_@;A) でも、他の名作も ぜひぜひ
観たい!と 思い続けているので、じりじりとでも 鑑賞数を増やしていきたい
デス。p(^_^;)/ 「天国と地獄」→「赤ひげ」→「椿三十郎」→「用心棒」→
「七人の侍」→「生きる」 の順に 観ていきますネ。アドバイス ありがとう
ございました!m(__)m
by 流星☆彡 (2007-02-24 01:20) 

Hiji-kata

●流星☆彡様
長い拙文を読んで頂いた上に、このように温かく長文
のコメントまで・・・・・ご厚情に感謝します。
ソネブロのお話は、おっしゃるとおりだと思います。
こころの内を外に向けて発信し共感を得る、自己表現
のための様々な努力を惜しみなく継続されている貴女
ならではの、実感のこもった言葉と傾聴いたしました。
文字通り、マーク(アイコンやスキンデコレーション)を
活用することは、自己表現の第一歩なんでしょうね。
それに内容が伴なえば “鬼に金棒” ですね(^^) 
でも、それを頭で理解することと、実行することとは別物
です。そこには大きな隔たりがあると思います。
自分のビジョンを実現するためには、人の想像を越えた
努力や辛抱があるものです。
ですから “ブログ作り” も、映画作りに通じる部分は多い
と思います。それを着実に実行されている流星さんには
尊敬を覚えます。
「黒澤映画」 は、そんな貴女にこそ観て頂きたい映画です。
「一瞬一瞬の画面の凄さ、完璧な演技、映像と音楽の相乗
効果の見事さ」 などなど、作り手としての創作上の苦しみは、
それを体験した者でなければ、とうてい理解できないものだ
と思うからです。
by Hiji-kata (2007-02-25 05:24) 

Hiji-kata

●流星☆彡様(追伸)
次のような映画評を見つけたので、参考資料として
掲載しておきます(^^)/

◆「椿 三十郎」を観て (46歳・女性の映画評)
過去、「羅生門」や「七人の侍」をちらっと観たこと
はあった。
が、気合いをいれて観たのはこの「椿三十郎」が
初めてかもしれない。

く~、面白いじゃないの!!
カット、カットその瞬間がモノクロームの芸術写真
を見ているようだ。
無駄なカットが一つもなく、陰影美も脱帽。
三船敏郎ってこんなに凄い存在感がある役者さん
だったのか~。
「世界の三船」・・・・その価値を今更ながらに思い知った。
そしてなにより、役者をうまく引き出す脚本の素晴らしさ。
あの大根・加山雄三でさえ、その大根ぶりが生きている。
(若き雄三はちょっと一茂似)
無頼漢・三十郎とお馬鹿な九人、浮世離れした奥方
(しかし妙にするどい)、なんともおとぼけな敵方人質、
一人シリアスな仲代達也。人物全てが愛らしい。
黒澤映画独特のユーモア、円熟の一本。
三船共々、世界の黒澤に納得の一本!
                         (2007.01.30)
by Hiji-kata (2007-02-28 10:05) 

流星☆彡

私、三船さんの魅力が いまいち分からないんですよ。
即ち↑初期の黒澤作品を 観ていないから。。。^^;
『七人の侍』も 「『荒野の七人』の雛型に なった!」←という話題の中で
紹介される映像(!)で 見るだけで。(なんだか、ひねくれた状況ですね。)
“黒澤を尊敬する ハリウッドの監督達”の話題が 好きなくせに、なぜに
今まで 観ないで過ぎてきたんでしょう?!(~_~;)ゞ
今後、じりじりと追いついていきたいデス。
by 流星☆彡 (2007-03-01 02:13) 

Hiji-kata

●流星☆彡様
そうですか。ぜひ “じりじり” 観ていって下さい(笑)
「三船の魅力」ねえ・・・・好き好きですからねェ~
んっ!
よく考えたら、素の三船は、どっちかと言うと華のない魅力
に乏しい俳優でしたよ。他の映画やテレビなどで観てご存
知とは思いますが。
そうです・・・・・黒澤映画以外の彼は、どうしようもない不器
用な俳優に過ぎなかった!(発見)
ということは・・・・・黒澤の造形力がいかに凄かったか、ですね(^^)/
by Hiji-kata (2007-03-01 22:02)